「ホンカンは・・・」
小さい頃,よく意味はわかっていないけれど,
記憶にすり込まれて覚えてしまったフレーズってありますよね?
そして,大人になって,ふとその意味を理解したりすることがありますよね??
小さい頃,僕が大好きだったテレビアニメの中で,
お決まりの警察官が自分のことを,「ホンカンは・・・」と言っていました。
あと,鉄砲を撃ちまくっていました(笑)
当時は,「生真面目で,しかし,ドジで愛らしいキャラクターの警官」は,
自分のことを「ホンカンは・・・」って呼ぶのかなぁ
くらいに思っていました。
しかし,今となっては,たぶん「本官」と書くのでしょうから,
ちょっと堅苦しい印象はありますが,なにも深い意味などなかったのだと思います。
さて,翻って,弁護士をはじめて2年が過ぎようとしている自分のことを思うと,
文章に,「当職は・・・」って書くことが,よくあります。
自分は「ドジで愛らしいキャラクター」のような気はしますが,
「生真面目」は当たっていません。
それなのに,どうして「僕」とか「私」ではなく,「当職」なのか,
よくよく考えてみると,わかりません。
まだ,官職についている人が,「本官」と呼ぶ方が自然な印象があります。
「当職」なんて,「本官」よりももっと堅苦しい印象のある一人称を使うのだろうか。
でも,ただなんとなく,「僕」とか「私」と書くのは,違うような気がして,
当たり前のように,「当職は・・・」を使ってきました。
この「ただなんとなく」という感覚の正体はなんなのか,
今日は,そんなことばかり考えていました(汗)
んで,結論からいえば,一人称に「与えられた役割」を加えた表現なのではないか,
と思うに至りました。
すると,約10年前の大学時代の憲法のゼミで,先生が言っていたことが,ふと思い起こされました。
それは,思想・良心の自由がテーマの回でしたが,
先生は,
某国の元大統領は「重要な政策を最終的に決める際に,政治家や官僚に相談するのではなく,
自分の信頼している占い師に相談して,決定していたそうだが,
それはそれで許されるのではないか。」と。
折しも,同じ国の現職大統領が不倫スキャンダルで国民からバッシングされた後だったりして,
どうして大事な仕事なのに,プライベートな決定方法を持ち込むことが「許される」のか,
先生の言っていることが分からず,腑に落ちないまま,気になっていたのでした。
それが,弁護士業務を開始して約2年の僕には,ちょっと理解できた気がする。
(もちろん,元大統領の決定方法ではなく,先生のいいたかったことの方です。)
「あの頃は,自分も若かったのかねぇ。」と,悦に入った気分になりました。
あっ,でも,「当職は・・・」は使い続けますよ~~!