奥田知志・茂木健一郎(2013年)『「助けて」と言える国へ』集英社新書

を読みました。
キリスト教の牧師として,釜ヶ崎で日雇い野宿労働者の支援活動を始め,現在はNPO法人北九州ホームレス支援機構の理事長である奥田知志さんと脳科学者茂木健一郎さんの対談本ですが,奥田知志さんの言葉は,対人援助の現場にいる人間として,とても心を揺さぶられました。特に207頁以降の「「絆は傷を含む―弱さを誇るということ」は,対談で散りばめられた奥田知志さんのお考えが集約されており,涙が出てきそうになりました。明日からまた仕事を頑張ろうと思える本ですので,ぜひぜひご一読下さい!!
(36~37頁)
 私は,時々大学の神学部に牧師の卵を教えにいきます。彼らに「皆さんの目指しているいい牧師さんとはどんな牧師ですか?」と訊くと,総じて返ってくる答えは,「愛する技術を持っている」ということです。傾聴の技術があるとか,すぐに対応できるとか,聖書の話が上手にできるとか色々ありますが,全て「愛する技術」に関することです。
 かつては私もそういうふうに考えていました。でも,今となっては,そんな牧師は傲慢で気持ちが悪いと思います。「愛される技術」といったら語弊があるかもしれませんが,愛するという能動的なものだけではなく,愛されるという受動的なものにも重点を置いていない牧師は気持ちが悪い。「助けてます」みたいなものではなく,「俺は助けてもらえないと生きられないんだ」というところを正直に見せることです。(中略)牧師でも医者でも,特に対人援助の現場にいる人たちには,そういう自己認識が必要ではないかと思います。
(240頁)
人と人が本当に出会い絆を結ぶ時,喜びは倍加する。しかし傷つく。それは避けては通れない。出会った証と思えばいい。長年支援の現場で確認し続けたことは,「絆(きずな)は傷(きず)を含む」ということだ。傷つくことなしに誰かと出会い,絆を結ぶことはできない。誰かが自分のために傷ついてくれる時,私たちは自分は生きていいのだと確認する。同様に自分が傷つくことによって誰かが癒やされるのなら,自らの存在意義を見出せる。絆は,自己有用感や自己尊重意識で構成される。これが絆の相互性の中身だ。
(242頁)
「健全に傷つくことができる」ことを保障するのが社会なのだ。地域やボランティア,NPOは,いわば「人が健全に傷つくための仕組み」だと言える。         絆の傷は人を生かす絆である。致命傷にしてはならない。独りよがりの自虐的な傷でもない。国によって犠牲的精神が吹聴される時代の危険を認識しつつも,他者を生かし自分を生かすための傷が必要であることを確認したい。絆とは「傷つく営み」である。22年間の路上の支援で,多くの傷を受けた。正直,しんどかった。でも,自分のような者が生きていていいのだと,常に励まされてきた。
(244頁)
ある元日雇い野宿労働者が「ホームレス支援の講座」で子どもたちに語りかけた言葉
「あのね,おじさん自分で頑張るしかないと思って生きてきたんだけれど,この世の中には助けてくれる人はいたんだよ。『助けて』と言えた日が助かった日だったよ。」

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所属:津山支所