雨ニモマケズと後見人(新名社会福祉士)
社会福祉士の新名です。
当事務所は法人として数多くの後見をさせていただいていますが、日々には楽しいことにも、悲しいことにもたくさん出会います。
一見、後見人業務は法律行為だけをやっているように思われることもあります。
しかし、この後見人としてのかかわりは本当に「命の限り」や「生きざま」に出会い、多くのことを考えさせてもらえる機会になっています。
生きざまのなかでの喜びや楽しみに出会うことは「この仕事をやっててよかった」と素直に思います。
けれど、担当させていただく方々が人間関係や金銭、病気や障害などで苦しむときには本当にどうすればいいのかと迷い、悩みます。
長く社会福祉にかかわる中では、決してその人の代わりはできないことも十分にわかってはいるのですが、「痛み」「不安」「死への恐怖」などにどうソーシャルワーカーとして、かつ後見人としてかかわっていけばよいか日々考えます。
そういうなかで、たまたま宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を読み直しました。
もともとは、宮本節子さんという大ベテランソーシャルワーカーの方が書かれた「ソーシャルワーカーという仕事 」(ちくまプリマー新書)の中での一節でした。
「ヨクミキキシワカリソシテワスレズ」
詳細は割愛しますが、まさにソーシャルワーカーに求められることを表現している一節でした。
そして、後見人としていろいろ考えていると・・・
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
一見、何もできないように思われる様子ですが、「これが後見人なのかも」と思ったのです。
別に大発見でも何でもありません。深読みもできていません。
けれど、実はこれができそうで本当にできない、しかしそのヒトに寄り添った支援なのではないかと思っています。
その人のすべての代わりはできないけれど、一緒に考え、悩み、できることはやる、そんな風に感じました。
当事務所の後見担当として、ご担当の方にどこまでも伴走しかできないけれど、伴走しつづけようと思います。