「千葉県銚子市の事件によせて」毎日新聞記事より (藤井弁護士)
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弁護士の藤井です。
痛ましい事件ですね。
この事件については、もっと周りが手を伸ばせていたら、という思いが強くあります。
公営住宅の家賃を、「滞納したらいられなくなる」とちゃんと理解しているにも関わらず滞納したくて滞納する人というのはそうそういません。
ですので、公営住宅の家賃が滞納になってる時点で、抜き差しならない貧困か、基本的な財産管理能力に課題がある状態を疑うのが、行政のあるべき視線ではないかと思います。
執行に至る前に一言[大丈夫?]と言えていたら。
福祉事務所が粛々と生活保護申請を受け付けていれば。
「助けて」と電話する先が、お母さんや娘さんの元に届いていれば。
悲しいというか、悔しいというか、そういう気持ちでいっぱいです。
本当に困って、疲れ果てた人がうちの事務所のフェイスブックの記事にたどり着くかどうかはわからないけれど、
もしこのページを見ている方で、もし「もうどうにもならない、死ぬしかない」と思っている方がおられたら、どうか一本電話を下さい。
うちの事務所
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に連絡していただいてもいいですし、
命の電話
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よりそいホットライン
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生保ネット
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などなど、いろいろ窓口があります。・・・土日や夜間はつながらなかったりはしますが。
しんどいと思いますが、辛いと思いますが、どうか相談してください。
この件で、立川談慶さんが、[長屋の花見]を聴いてもらいたかった、とfacebookに投稿しておられたのを拝見しました。あったかいなあと思いました。
[長屋の花見]という落語には、金もご馳走もない貧乏が描かれています。卵焼きも酒もない。あるのはたくあんの切れっ端と煮出した番茶。でも、「みんな集めて花見やろうぜ」というノリがある。
そこには長屋を中心とした濃密な人間関係があり、おおらかさがあり、エネルギーがあります。そこでは貧乏はあけっぴろげです。
たぶん、あの登場人物の誰かが[金がないから心中や]と言ったら、[貧乏で死ぬんだったらわしはもう10ぺんは死んどる、ちょっと待っとれ]とか誰かが言って、なんか必要な物資をもって帰ってくるだろう、そんくらいの人間関係とエネルギーがあります。貧乏だけど、貧困じゃない(実際の当時の社会がどうだったのかはよくわかりません)。
この事件のお母さんは、そういう人間関係がない中で、「助けて」と言っても助けてもらえない状況の中で、憔悴し、疲れ果ててしまったのだと思います。
お金がないというだけではなく、パワーレスで社会的に孤立してしまったこういう状態が、貧困です。
この事件は、そういう「貧困」の問題を抜きに考えられないと思います。
今後こういう事が起こらないように、私達は、少しでも長く手を伸ばしたいなと思っています。
もし、この記事を見た皆さんが、自分の職場や地域で、「この人、大丈夫かなあ」と思っていることがあれば、ぜひ相談してください。何かできることがあるかもしれませんから。
特に、医療、福祉、教育の現場や行政機関の窓口などは、そういう「大丈夫かな」のシグナルが、目立たないけれど出ていると思います。
そういったことを見つけた方にも、ぜひ気軽に相談していただければなと思います。