【情報発信と情報受領】 岡大支所 吉川拓威 安保法制が強行採...
【情報発信と情報受領】
岡大支所 吉川拓威
安保法制が強行採決される少し前に、実家に帰ったときのことです。
私は、自宅(岡山)では、山陽新聞を購読しているのですが、実家では、産経新聞を購読していました(私の亡くなった父親は朝日新聞が好きだったのですが、母親はそのようなことはあまり気にしておらず、勧誘時の景品とかを重視していました。)。
ところで、いずれも「新聞」ではありますが、編集者の安保法制に対する見方がだいぶ違うようで、自分が今まで、岡山で読んでいた新聞の論調とあまりにも違うので、正直かなり驚きました。
山陽新聞の編集の仕方が良いのか、産経新聞の編集の仕方が良いのかという議論はともかく、情報というのは、その情報を発信しようとする人の意識に大きく左右されることを改めて実感した次第です。
よくよく考えてみると、普段の何気ない人との会話でも、この人は、本当は何を言おうとしているのだろうと「言葉」の背後にある意図を推測しながら、会話のやりとりをしていると思います。
結局、情報が発信されるとき、その情報が何らの意図もなく発信されるということはあり得ず、情報の発信の背後には発信する人の何らかの意図が含まれているということだと思います(この書き込み自体にも意図があるということですね。)。
戦時中や独裁政権の情報統制を引き合いに出すまでもなく、「新聞」だから中立だろうとか、間違いはないだろうとか、○○だから間違いはないだろうとの思い込みで情報を受領することは非常に危険で、結局のところ、情報を受領する個人個人が、発信された情報を自分できちんと判断していく必要があり、そのためには、自分のほうから、いろいろな情報に接する必要があるのだということを感じました。