【雑感:憲法改正の必要性について議論するときに注意することなど】 岡大支所 吉川拓威 平成28年1月...
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【雑感:憲法改正の必要性について議論するときに注意することなど】
岡大支所 吉川拓威

平成28年1月23日(土)午後3時30分から、九州大学の南野森(みなみの・しげる)教授の憲法講演会(岡山弁護士会憲法委員会主催)が、岡山弁護士会2階大会議室で行われました。130人程度の方に来ていただき、大変盛況だったと思います。講演の中では、先生が「憲法主義」(PHP研究所 AKB48の内山奈月さんとの共著)という本を、なぜ書こうと思ったのかということを、戦後70年の日本国憲法の枠内で行われてきた政治の流れ、特に議論の多かった9条の解釈を踏まえてお話があり、その中で、近時の政治の在り方が、憲法の本質ともいうべき「立憲主義」をないがしろにしているのではないかという危機感がこの本を書く動機であったとのお話がありました。
 次回の参議院議員選挙は、憲法改正が争点になると言われています。ただ、憲法の本質ともいうべき、「立憲主義」については、法律の専門家かどうかに関係なく、国民一人ひとりが理解しておくべき重要な概念だと思います。しかし、残念なことに、小、中学校、高校などでは、憲法の3大原則などの話はあるかもしれませんが、「立憲主義」について十分な説明はなされていないようです。それどころか、法学部で法律学をそれなりに勉強している方でも、民法、刑法などと違って、憲法は政治学と同じであるというように理解している人もいるように聞いたりもします。
 私自身も、テレビのコメンテーターの方が、例えば、集団的自衛権の合憲性の問題について、単に、「政策的に集団的自衛権の行使が必要なのかどうか」という政治的必要性の観点からのみ議論をしたりしているのを聞いて、改めて「立憲主義」に対する理解がされていないことに驚きました。
また、ある憲法の集会に参加したときに、参加されていた方が以下のようなお話をされていました。
「自分の高校生のお孫が、あるとき、家に帰ってきて次のように話をした。『学校で集団的自衛権行使の議論(ディベート)をする時間があった。自分は、当然、皆反対するだろうと思っていた。しかし、最近の中国などの脅威があるから、アメリカに守ってもらう必要がある。だから、集団的自衛権が必要なのだという流れになり、結論的には集団的自衛権行使に賛成の人の数のほうがやや多かった。』。その話を聞いて自分は非常に驚いた。」
私は、結局、これらの話は、2つのレベルの違う話を混同していることから生じているのではないかという感じがしています。
英米を始めとして、多くの国々が依拠している「立憲主義」という概念は、ごく簡単にいえば、「国民の人権を保障するために、濫用されがちな国家権力を憲法という枠の中に閉じ込める」ということではないかと思います。言い換えると「政治は憲法の枠内でするべきである」という理念といえると思います。その枠が『固い枠』なのか、『柔らかい枠』なのかは、各国の歴史によって異なるのでしょうが、いずれにしても、当該政策の政治的な良し悪しを検討する前に、憲法の「枠」内なのか、「枠」外なのかという議論をする必要があるのです(「立憲主義」という概念が、根本的にどのような価値観と結びついているのかは、憲法改正の限界と関連して困難な問題とは思いますが、「立憲主義」が歴史的経緯を踏まえた重要な概念であり、多くに国々の共通理解であることは忘れてはならないと思います。)。
しかし、おそらく、議論をリードする教師の側にも(さらには、テレビのコメンテーターも同じですが)、① 憲法の枠内といえるのかという議論のレベル(枠外であれば憲法改正が必要)と、② 政策的に集団的自衛権行使の必要性をどう考えるのかという議論を区別するということに思いが至らなかったのではないかと思います。
この2つのレベルを区別して議論したら、また違った結論が出たのではないでしょうか。このことは、憲法学者、弁護士ら法律家が「立憲主義」をきちんと説明してこなかったことから生じた問題だと思います。
今までは、憲法論も現実の政治の中では9条を除いてほとんど問題になってきませんでした。しかし、今の政治状況では、国民1人一人が憲法の根本である「立憲主義」(細かい憲法の解釈論ではなく)、を理解する必要があるのではないでしょうか。
いずれにしても、今後の憲法改正を考えるにあたっては、2つのレベルをきちんと区別して議論することが必要だと思います。
以上

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