【司法試験が求めているものは何か】 岡山パブリック岡大支所 弁護士 吉川 拓威 ちょっと偉そうな題目...
岡山パブリック岡大支所 弁護士 吉川 拓威
ちょっと偉そうな題目ですが、自分が合格するまでに平均よりも相当多くの年数がかかったことなどもあり、自分と同じ轍を踏まないでほしいという意味と、自分自身の反省も込めて少し振り返ってみました。ただ、自分自身のことを振り返ってみると受験中多くの先生や先輩、後輩、友人たちに、今から思うと有益な助言をたくさんもらっていたと思うのですが、当時はあまり耳に入らなかったです(笑)。
前回に引き続き、あくまで個人的な体験で、しかも旧試験の話ということでご了解ください。
結論から一言でいうと、司法試験も「試験」なんだということについて自分の考えが甘かったというのが今の時点で思っていることです。
法律の勉強は、最初はとっつきにくいのですが、それでも毎日、基本書などを読んでいると面白くなってくると思います。特に、いわゆる学生向けのテキストと割り切っている基本書ではなく、著者が今までの研究成果を踏まえて制定経緯などを深く熱く語っている基本書を読んでいると引き込まれるような面白さがあったような気がします。これも当然、人によって個人差があると思いますが、私は、憲法なら佐藤幸治先生、民法なら星野英一先生、刑事訴訟法なら渥美東洋先生などの本が特に好きでした(ただ、熱く語っている先生の本は、論点について必ずしもその先生の自説が固まっておらず、将来の課題になっているようなことも多かったですが。)。
それで、私は、答案練習会などでもそのような先生の説で書いていたのですが、勿論すべてがフォローできるわけでもなく(自分の性格がやや雑で、しかも記憶が十分でないということも含めて)、点数は安定せず、どうしたら良いのか悩みながら、勉強をしていました。私が、受験勉強を初めたころというのは、予備校などのテキストも今のようにそろっていたわけでもなく、基本書を読み込むというような方法が主流だったと思います。基本書一本主義などと言われていましたが、問題は、基本書をどのように使うのかというのが、早く合格する人と私のような長くかかる人では違っていたんだと思います。
ところで、司法試験も「試験」だと割り切るとしたら、どのようなところから考えたら良いでしょうか。学部の試験を思い浮かべるとわかりやすいかもしれません。学部の試験だと、実際にそのテストを実施し、採点をするのは、講義をする先生だと思います。通常は、一人の先生だと思うので、その先生が喜ぶ内容(その先生の見解、その先生の実務に対する考え)を書くということになると思います。他の説で書いても、「きちんと」書いてあれば勿論それなりの評価をしてくれるとは思いますが、「試験」の戦略としてはどうでしょうか。
要するに、「試験」には、採点する人がおり、また、採点基準が不可欠であって、何か新しい独創的な考えは必ずしも求められていないということが言いたいことです。もちろん、採点する先生の琴線に触れるような独創的な考えを示せれば、独創的な考えでも点数がつくかもしれません。しかし、そのようなことを複数の科目ですることは困難ですし、すべての科目において安定した合格圏に入るのは難しいのではないでしょうか。昔、司法試験の答案は「金太郎あめ」のように同じような内容のものが多く、これは予備校の弊害であるとの指摘がされたことがあります。しかし、「試験」というのは、予備校の指導の云々とは別に、もともとそのような性格があると思います(国語や数学のテストで答えが同じなのは当然のことなので。)。
司法試験に採点基準が不可欠ということは、試験を実施している側が求めている一定範囲の「解答の枠」があるということで、仮に、将来的には評価されうるような独自の見解を示したとしても、おそらく「試験の答案」としては、それほどの評価はされないと思います。採点者がそのような独自の考えを評価すること自体が難しいからです。
このように考えると、受験者が、採点者が求めている解答(司法試験の論文試験の場合は一定の幅はある。)を集約し、それにどうしたら対応できるのかを教える予備校に行くのは無理からぬことだと思います。
そもそも、学者が一生かけて研究をしている科目の判例・学説の内容の良し悪しなどわずか数年の勉強で容易に判断できるはずもありません。そうではなく、ベースとなる基本的な判例・学説の考え方をきちんと押さえ、それを出発点として、一定程度の論理的な思考・あてはめができればそれで十分ということなのだと思います。
そうすると、司法試験が難しい試験ということであっても、やるべき方法としては、既に合格した人たちの話を聞いて、多少の独自性はあるとしても、同じような方法で繰り返し勉強するというのが王道だということなのだと思います。
私は、受験しているときに学説・判例の「内容」にこだわりすぎていたというのが今になって思うことです。司法試験には古くから格言みたいなものがあって、その一つである「司法試験は学者になるためのものではなく実務家になるための試験なのだ」という言葉は、まさにこのことを言っていたのだと今になって思うことです。
ただ、同時に以下のようなことも古くから言われています。
「司法試験に合格したら、早く試験のことは忘れなさい。」
実際の実務では、未知のことも多く、ときには現時点で通用している実務上の考えに反対しなければならないこともあります。特に弁護士は、依頼者からの具体的な相談を通じて、今までの実務の考えに疑問を呈していかなければならないことも多くあると思います。そのときは、まさに「内容」に踏み込んでいかざるを得ないし、学者の先生の論文に当たっていく必要があると思います。結局、どの仕事も同じと思いますが、「試験的」な対応では不十分ということで、故に日々実務では悩みも尽きないということかと思います。そこがこの仕事の面白さかもしれません。
最後に、択一についても一言だけ、択一で求められている知識を繰り返し確認するというのは最も重要なことですが、私は、① ケアレスミスをしない(ケアレスミスをしないための方策を常に考える)、② 消去法を徹底する(明らかに間違いの肢から切る) というのが戦略的には重要なことと思っていました。
以上